全朝教元代表で、天理大学教授を勤められた内山一雄先生が薬効のかいなく10月25日に他界されました。内山先生は、在日朝鮮人教育の理論的支柱のひとりで、70年代以降の在日朝鮮人教育運動を牽引された中心的人物。 また識字教育の専門家としても知られ、学びから排除された被差別者の人々に寄り添いながら、人が学ぶことの大切さと高貴さを学者として実践家として関わり、生涯を教育運動にささげられた。
内山先生は民促協(民族教育促進協議会)が80年に発足すると、率先して連帯を明確にされ、民族学級の制度保障運動に日本人教育運動として積極的にかかわるべきだと前線に立たれました。
1990年代に入り、全朝教(全国在日朝鮮人教育研究協議会)全国運営委員会が路線対立によって分裂。在日朝鮮人教育運動は、混沌の時期を迎えた。路線対立の背景には、在日朝鮮人の当事者運動に対する評価のちがいなどがあった。大阪以外の全国運営委員会の委員らの中に、「民族学級」実践が大阪の一部でだけ可能な実践であり、他地域の参考にはならないとする風潮があった。これに対して、内山先生をはじめとした全朝教大阪のメンバーは、子どもの多い少ないではなく、子どもの精神的な充足感を保つために民族講師の指導による「民族学級」実践は効果的。この取り組みは、十分に全国の参考になると主張された。
いま2007年を向かえ、「民族学級」スタイルの外国人教育の実践モデルが新渡日の子どもたちの支援教育に多数活用されている。
1984年に開催され、民促協発足の母体となった「公立学校に在籍する在日韓国・朝鮮人児童生徒の教育を考えるシンポジウム」においても、そして2003年の民促協発展解消式の場においても、内山先生は「運動のターニングポイント」という言葉を私たちに投げかけてくださいました。内山先生が私たち後輩に遺してくださった問題提起は、運動と実践の指針となっている。
つねに当事者との対等な連帯を信念に持ちながら、生涯を終えられた内山一雄先生。内山先生の中には、教員としてかかわった子どもたちのくったくのない姿と、そして過去の日本による朝鮮半島植民地支配に対する日本人としての贖罪意識があった。
内山先生が他界されたことで、多くの人々が淋しい気持ちを感じておられることだろう。それほど大きな役割を果たされたということではないか。
内山先生のご冥福を心よりお祈りし、私も内山先生の意志を継ぐ一人の後輩として、さらなる教育運動の発展をめざして精進したいと思います。内山一雄先生、やすらかにお眠りください。
特定非営利活動法人コリアNGOセンター事務局長 金光敏(キムクァンミン) |